masaki 大阪城

 こんにちは。まさきです。

 

 先日、今更ですが、大阪のシンボル大阪城に行ってきました。実際に行ってみて思ったのは、全ての規模が他の城とは一線を画す大きさで、入り口から入ってから天守閣に登るまで、圧倒され続けました。

 

まず、堀が囲む面積の広さです。一周したらいいマラソンコースになりそうな広さで、入り口から入ってもそう簡単には天守までたどり着けません。今でこそ広すぎる公園の大きさですが、200年前の当時は天王寺辺りまで大阪城の敷地だったそうですから、もうとんでもないですね。自分の家だったらと思うと、門を入っても家まで車で移動しなければならないようです。

現在の正面の門を入ると、天守の前にまず驚かされるものがあります。巨大な石垣です。その大きさといったら、本当に一軒家ぐらいあります。それも何個もいたるところに。こんなデカい石は今まで見たことありませんが、日本の一体どこから持ってきたんでしょうね。車のない時代に全国から集めたみたいですが、この石垣こそ豊臣の天下統一の象徴って感じがします。

近づくにつれてその大きさに驚く天守閣ですが、目の前まで来てみると、50メートルという高さもそうですが、そのドッシリと立つ横幅がデカいので、敵兵だったら絶望しそうな圧を感じます。本当に驚きなのですが、徳川時代の大阪城は、今の物よりさらに大きかったそうなんです。200年前ですから、本当にどこからでも見える権威の象徴だったんだなと想像してしまいます。緑色になった銅の屋根、黒い壁に金ぴかの虎や鶴の装飾が飾られているのはこの大阪城だけで、防御だけでなく外観も重視したかっこいい城です。天守に登ってみると、近くは通天閣や梅田、遠くは万博公園や六甲山、奈良の方まで見えて、天下を取った気分を味わえます。

 

この天守は、市民の寄付により再建されたものなんだそうです。大阪市民の大阪城への深い愛が感じられます。そんな大阪城も大戦で空襲を受け、多くの文化財を失ったようですが、この天守閣は焼け野原になった大阪の街の中でも残っていたんだそうです。近くに爆弾が落ちた影響で天守閣の石垣がずれているのを見ることができました。そんな奇跡の城が、きっと現在の大阪の発展の希望となったんだと思います。これから先まで、大切にしていってほしいです。

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